試験に出ない建築史
「名建築トレース」が終わり、次の課題に向け少し時間ができたので、1回限りですが講義を担当することになりました。
といっても普段は設計の実技指導がメインなので、こうした座学の講義は初めて。何を話したものか、手探りからのスタートです。
自分が学生ならどんな授業を受けてみたいか……。
思い返せば20年前の大学1年生の頃、授業はサボって図書室や書店に立てこもっては、建築家の作品集ばかり眺めていたのでした。そこにあったのは名も知らない建築家の、得体の知れない怪しげな作品の数々。
時代の流れで書店も書籍もだいぶんと少なくなりましたが、今の自分の血肉となっているのはそうやって学生時代に読み漁った作品集、そこで出会った名建築の数々です。
「名建築トレース」で取り上げたのはたったの3作品ですが、当然ながら世界には無数の名建築があります。ならばその一端を垣間見られる講義にしようと思いました。
せっかくの機会ですし、誰に怒られることもないので(多分)、紹介する作品は完全な独断と偏見で、真剣に選びました。
出来上がった作品リストをみると、1年生向けというにはなかなかマニアックな打線。
建築史の試験には必ず出てくるパルテノン神殿もコロッセオも、ライトもミースもコルビュジエも見当たりません。
開き直って、講義のタイトルは「試験に出ない建築史」としました。
100分の講義に、40近い名建築の写真と図面を詰め込みます。
スライド総数200枚超。1作品あたり2分半の超過密スケジュール。
聞かされる方はもはや何が何だかわからなくなるでしょうが、内容を暗記してもらうつもりもありません。だって「試験に出ない」ので。
これから設計や進路で迷った時、「そういえば1年生のとき、妙な建築を紹介してた奴がいたな・・・」と脳裏をよぎってくれれば本望です。(ただしそれが何の助けになるかは知りません。)
ここではその一部を紹介したいと思います。
TWAフライトセンター(1962)/エーロ・サーリネン
ニューヨークにある空港ターミナルです。
見た目は何かの虫みたいです。不用意に近づくとブーンと飛んでいきそうなフォルム。
……と書いてる途中で調べたら「カモメが翼を広げたような形」という格段に美しい表現が見つかりました。
でも「虫」のほうが例えとしては的を射ている気も(負け惜しみではなく)ちょっとだけしていて、
なぜならこの空間が虫の外殻と似た、薄い曲面状の外骨格に包まれているからです。
外骨格は鉄筋コンクリートでできていて、建築用語ではシェル(貝殻)構造と呼ばれます。
内部空間も外と同じく全てが曲面や流線形で構成されており、直線の要素が見当たらないぐらいです。見ていて飽きません。
使われなくなってしばらく閉鎖されていましたが、2019年にホテルのエントランスとしてリノベーションされました。この写真はリノベーションの後に撮られたものですが、空港の面影がしっかり残っています。
エーロ・サーリネンのお父さん、エリエル・サーリネンも建築史に必ず出てくる有名な建築家です。
親子で一緒に設計した作品(Christ Church Lutheran)もあります。
そう聞くとお父さんは結構クラシックな作風なので、流線形大好き・息子サーリネンと親子喧嘩にならなかったのか心配になりますが、息子はビシッと直線的なオフィスビルの傑作(John Deere and Company Corporate Headquarters)なども設計しており、全然問題なかったようです。
天才には作風なんてあってないようなものなのかもしれません…。
アビタ67(1967)/モシェ・サフディ
カナダのモントリオールにある集合住宅です。1967年のモントリオール万博にあわせ建設されました。
設計者のモシェ・サフディは当時なんと29歳。大学の修士論文で考えたシステムがそのまま実現してしまったそうです。
「レゴみたい!」と思わず言ってしまう見た目ですが、本当にモントリオール中のレゴを買い占め、レゴを積んで形を決めたそうです。
同業者的にはさすがにちょっと話盛りすぎ?と思ってしまいますが・・・。
この建設風景を見ると、レゴ伝説もあながち嘘じゃないかもと思えてきます。
あらかじめ工場で作ってきたコンクリートの箱を積み上げて、12階建てにしています。
造形的にカッコイイのはもちろんですが、ところどころに緑や日陰があって実際に住むのも気持ちよさそう。実際に入居者は後を絶たず、常に満室だそうです。
セントラル・ビヘーア(1974)/ヘルマン・ヘルツベルハー
オランダにある保険会社のオフィスビルです。
麻雀牌を寄せ集めたような形をしていて、牌の部分がオフィスです。
牌と牌のスキマは屋内通路になっていて、ガラス屋根から自然光が入ってきます。
4階建てのオフィスに挟まれた屋内通路を人々が行き来しています。
オフィスと屋内通路というより、どこか家と路地のような関係にも見えてきます。
執務スペースでの会議の様子。何も知らずに写真をみたらこれが到底オフィスとは思えません。
それぐらいアットホームな感じがします。屋内通路を挟んだ向かいのオフィスとも絶妙な距離感です。
レストランや喫茶店まであり、本当に建築全体が一つの街のように見えてきます。
オフィスと聞くとついガランと広くて殺風景なスペースをイメージしてしまいますが、ここではひとつひとつの空間がほどよく小さく、すごく居心地がよさそうです。
人間の生活とか身体にあったサイズで設計されていることを「ヒューマンスケール」と建築では表現しますが、まさにそのお手本のような空間です。
ロッテルダム・マーケットホール(2014)/MVRDV
続いてもオランダの建築です。なにやらチクワみたいな形をした、集合住宅です。
外側のバルコニーを見ればなるほど確かに集合住宅ですが、どうみてもただならぬ雰囲気が漂います。
そのただならぬ雰囲気の原因。
チクワということはつまり、真ん中に大きなトンネル状の空間があります。これは何でしょうか?
実はここは誰でも入れる市場になっています。だからロッテルダム・マーケットホールという名前なのです。
トンネルの壁に小さな穴がポツポツと開いていますが、これが住宅の窓です。
チクワの身の部分が集合住宅になっているということですね。
住宅から市場を見たところです。なんでこんなことをしようと思ったのかはさっぱりわかりませんが、とにかく楽しそうです。こういうのを見ると、世界にはいろいろな住み方があるなと思います。
あと食材がなくなったらすぐ買いにいけるので、普通に便利そうです。
こんな感じで、古今東西の名建築を、個人的感想とともに紹介するだけの講義が無事終わりました。
好きな建築が見つかった!という学生もいれば、全然趣味が合わない!と思った学生もいたでしょう。どちらでも良いと思います。
ただし経験則から言って、昔の名建築をたくさん知っているかどうかで、設計の力量に少しずつ差が出てくるはずです。
最新の作品もいいですが、やはり古典には古典の価値があります。古典、と大げさにいっても近代建築ならせいぜい100年以内の作品。絶対に現代に通ずるところがあるはずです。
少しでも気になった作品があれば、自ら深堀りして、そして学生の間に実物を見に行ってほしいと思います。
最近は旅行も高くて簡単には行けませんが、社会人になればもっと大変になります。
建築学科では旅行も大切な勉強だと、学生のみなさんには知っておいてほしいと思います。
(おまけ)試験に出ない建築史 作品リスト
(1)ヨーロッパ編
ノートルダム・デュ・ランシー教会(1923)/オーギュスト・ペレ
ストックホルム市立図書館(1928)/エリック・グンナール・アスプルンド
オタニエミの教会(1956)/ヘイッキ&カイヤ・シレン
ベルリンフィルハーモニー(1963)/ハンス・シャロウン
ネヴィゲス巡礼教会(1968)/ゴットフリート・ベーム
テンペリアウキオ教会(1969)/ティオ&トゥオモ・スオマライネン
ウォールデン7(1970)/リカルド・ボフィル
セントラル・ビヘーア(1974)/ヘルマン・ヘルツベルハー
バウスベアの教会(1976)/ヨーン・ウッツォン
ポンピドー・センター(1977)/レンゾ・ピアノ+リチャード・ロジャース
アレクサンドラ・ロード・エステート(1978)/ニーブ・ブラウン
テルメ・ヴァルス(1996)/ピーター・ズントー
ロッテルダム・マーケットホール(2014)/MVRDV
(2)アメリカ大陸編
イームズ邸(1949)/チャールズ&レイ・イームズ
バーベンジャー邸(1950)/ブルース・ガフ
ロス・マナティアレスのレストラン(1960)/フェリックス・キャンデラ
TWAフライトセンター(1962)/エーロ・サーリネン
アメリカ空軍アカデミー カデット・チャペル(1962)/SOM
オークランド・ミュージアム(1963)/ケヴィン・ローチ&ジョン・ディンケルー
シーランチ・コンドミニアム(1965)/チャールズ・ムーア
ソーク生物学研究所(1966)/ルイス・カーン
アビタ67(1967)/モシェ・サフディ
レイ・キャピー邸(1967)/レイ・キャピー
ミネアポリス連邦準備銀行(1973)/グナー・バーカーツ
ウェスティン・ボナベンチャー・ホテル(1976)/ジョン・ポートマン
聖イグナティウス教会(1997)/スティーブン・ホール
シアトル中央図書館(2004)/OMA
(3)日本とアジア編
三徳山三佛寺投入堂(1184)/作者不詳
東京カテドラル聖マリア大聖堂(1964)/丹下健三
日生劇場(1963)/村野藤吾
ドラム缶の家(1966)/川合健二
ラムネ温泉館(2005)/藤森照信
ルーブル・アブダビ(2007)/ジャン・ヌーベル
北京国家体育場(2008)/ヘルツォーク&ド・ムーロン
聖地メディナのアンブレラ(2011)/エスエルラッシュ社、シープヘル社、太陽工業