手で描くという「修行」
武蔵野大学で担当している一年生の設計課題がひとつ終わりました。「前川國男邸」のドローイング(製図)がテーマです。
近代日本を代表する建築家、前川國男の自邸は1942年に品川区上大崎に建てられました。現在は小金井市の江戸東京たてもの園に移築され、自由に見学することができます。
一見するとなんて事のない和風の古民家ですが、屋根の高い建物中央に吹抜のリビング、その両脇に寝室・書斎・台所などの諸機能を配した、これ以上ないほど近代的で明快な構成です。
インテリアは白を基調とする「これぞモダニズム」な矩形の空間ですが、南面いっぱいに設けられた格子窓による陰影はこの建築だけの見どころです。
平面計画がシンプルでわかりやすいこと、歴史的な名住宅でありながら簡単に見学できること、そして何より空間が味わい深いことから、多くの大学で課題に取り上げられているようです。
前川國男邸については色々なところで語られているのでこれ以上は深掘りしないことにして、ここではドローイングという課題のありかたについて考えてみたいと思います。
この課題は全て手描き、しかも鉛筆での制作がルールです。
CAD(パソコンでの製図)が当たり前の今、わざわざ設計図を手描きすることはプロの世界ではまずありません。学生でも2年生以降はデジタル表現が主流になってきます。
手描きは大変です。コピペもCtrl+Z(やり直し)もききません。机にコーヒーをこぼせば一巻の終わりです。
デジタルネイティブにはもはや「修行」のような内容に、疑問(憤り?)を感じた学生も少なくなかったはず。「タイパ重視」の今、わざわざ手書き図面を学ぶ意味なんてあるのでしょうか?
高名な師匠であれば「意味なんぞテメェで考えろ・・・」と弟子の疑問にはシブく背中で語るところですが、新米教師ではそうもいかないので自分なりに手書きを学ぶ意義を考えてみました。
(1)仕事でも手描きスキルは役に立つ
建築に限ったことではありませんが、ものづくりの世界は図面で会話をします。打合せの場でいちいちパソコンを使って作図→印刷なんてやっていられないので、その場でパパッと図面やスケッチを起こし、説明する能力は意外と重要です。ビジネスマンに英会話が必須なのと同じですね。使うのはメモ用紙でもiPadでも何でもよいのですが、手で描く力は色々な世界で将来きっと役に立つはずです。
(2)考えて図面を描く習慣が身につく
パソコンでコピペしてしまえば、この課題は10分で終わります(笑)。でもそれでは当たり前ですが何も身につきません。
一本一本の線が何を意味しているのかを理解しないと、手描き図面はできません。CADならコピペで簡単に図面ができますが、それは描いている本人が十分に理解をしていない図面です。いい加減な図面からはいい加減なものしかつくれません。
この課題、一年生にとってはかなり難しい図面(矩計図)も含まれていますが、これを乗り越えれば今後たいていの図面は恐るるに足らないものになります。正しい図面の描き方を知れば、当然正しい図面の読み方も身につきます。
ちなみに私は学生時代はマトモに図面が描けず(描けとも言われなかった)、設計事務所勤めになってだいぶ苦労したことは内緒です。
(3)手描きができるとカッコイイ
結局はこれに尽きます(笑)
友人との旅行で見に行った建築をサラサラ〜っとスケッチに起こします。SNSにアップするのもよいでしょう。「お主、なかなかやるな・・・」と周囲から一目置かれるはずです。
最初は上手く描けなくても、何度かやっているうちに気づけばそれっぽくなってきます。
美大でもない限り、まともに絵も描いたことがないという学生は多く(私もそうでした)、一年生のほとんどが表現に関しては「丸腰」の状態。しかしこの課題を通して鉛筆画という「武器」をひとつ手に入れました。
基本があればあとは道具を変えるだけ。ペン画、水彩、そしてCGなどのデジタル表現も全てその応用に過ぎません。表現の幅が広がると同時に、だんだんと建築をつくる楽しさもわかってきます。反対にここで手描きのトレーニングを怠れば、表現という行為に対して今後ずっと苦手意識を持ってしまう可能性すらあると思っています。
ただし、画力そのものは建築分野ではそれほど重要ではないと思います。最後に作りたいものは建築であって絵画ではないからです。むしろ絵が達者すぎると自分の設計がよく見えすぎてしまうので、ヘタなぐらいが丁度いいと言う人さえいます。その証拠に(?)前川國男も絵はあまり得意ではなかったようです。
しかし矛盾するようですが、よい建築を作るためにはヘタでもよいので何枚も何枚も、スケッチや図面を無心で描きまくる過程が絶対に必要です。迷った時はとにかく手を動かす。この課題を通して「手で考える」大変さと楽しさを知ってもらえたらと思います。
学生の皆さんお疲れさまでした。